ホーム インタビュー 【必見】次世代で活躍する学生達に打ち明けたULTRA JAPAN創設者 小橋賢児の知られざるストーリー

【必見】次世代で活躍する学生達に打ち明けたULTRA JAPAN創設者 小橋賢児の知られざるストーリー

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【必見】次世代で活躍する学生達に打ち明けたULTRA JAPAN創設者 小橋賢児の知られざるストーリー

 

成功を掴んだ人たちは、何をして、どんな生き方をしてきたのだろうか?

この記事で紹介するのは、かの有名な「ULTRA MUSIC FESTIVAL」を日本に上陸させ、他にも様々なイベントを成功させてきた小橋賢児さん。成功の裏には、俳優の休業や重病、数々の失敗など苦しんだ過去があった。

 

 

小橋賢児さんとは

1979年生まれ38歳。子役時代から俳優として活躍していましたが、27歳で休業し渡米。帰国後、様々な困難と立ち向かいながら、映画監督としてデビュー。現在「イベントクリエイター、クリエイティブディレクター」として、ULTRA JAPANやSTAR ISLANDをはじめ様々な世界規模のイベントや都市開発などの企画運営を行なっています。

 

小橋さんの人生の軌跡

小橋さんが現在の活躍に至るまで、どのような人生を送ってきたのかもう少し詳しく見ていきましょう。

 

子役時代は一つの勘違いから始まった。

8歳だったころ、家に帰ったら欠かさず見ていたバラエティ番組がありました。その番組が「新レギュラー募集中」となっていて、それを「観覧希望」だと勘違いしてハガキを送ったところ、オーディションの通知がきました。これが子役デビューのきっかけでした。

はじめは考えてもいなかったオーディションの通知がきて焦りましたが、「番組を見に行けるならまだしも、受かっちゃったらなおさらいいや」という考えからオーディションを受けることに決め、応募者が1600名もいた中で、合格者7名に無事選ばれました。ただただ直感を信じて突っ走っていた少年時代でした。

その後、13歳の時に岩井俊二さんの作品に出演したり、17歳で朝ドラの主演の相手役に抜擢されたりと、順調に俳優としての地位を確立していきました。

 

いつからか、感情が変化していきました。直感を信じて突っ走っていたところから一転、俳優(有名人)という立場のせいで自身を制限していてしまいました。

「俳優だから〇〇してはいけない」
「俳優だから〇〇とつるんじゃいけない」

というように自分の感覚を無視して生きるのはとても辛いことでした
そしてこのタイミングで人生を左右するような大きな方向転換しました。

 

一念発起し、ネパールへ

26歳の時、ネパールにひとり旅に出かけた時の話です。ここでお金もないし体も小さいが、3畳半の部屋で妻と子と幸せに三人暮らしをしている同い年の青年に出会いました。その時気づいたこと…。

 

「彼は今を一生懸命にいきている。自分は未来を守るために今を捨てている。」

 

彼の家族を守る力や人間力を目の当たりにし、このままだとヤバいと思い、俳優をやめるという決断に至りました。

 

俳優をやめてアメリカへ
そこでULTRAと出会う。

 

 

27歳の時、自分のダメさや辛さ、自分に嘘をついていた感情などが露呈して、逃げるようにアメリカへ行きました。この時二つの目標を決めました。

①冬に英語をもう勉強して、アメリカを横断すること
②英語で喧嘩できるようになること

そして、実際に冬の間死ぬほど英語を勉強し、アメリカを横断する旅に出ました。

 

アメリカを横断する中で、始めは俳優業で心を閉ざされていましたが、世界中に友達ができ、多様な考え方に出会い、心のリハビリができました。そして旅の終盤、ついに自分の人生を変えるフェスに出会いました。それが

「ULTRA MUSIC FESTIVAL」

です。

このフェスには様々な境遇の人たちがいて、自分の知らない感情だったり我を忘れるような体験をしたり笑ったり踊ったり泣いたりしている人たちがたくさんいました。ここでフェスの素晴らしさを知り、「なにこれ行きたい出会いたい」という内から出る衝動にかられて世界中のフェスを回りました。そして世界中のフェスを回った末、なんでも達成できるような気持ちで日本へ帰国しました。

 

30歳直前で人生のどん底へ
そんな時やろうと思ったのは”Birthday Event”

 

しかし帰国後、思い描くようにうまく物事は進みませんでした。失敗の連続でお金もなくなり、それに加えて仕事もないのでどんどんストレスだけが溜まっていく生活を強いられました。もともと、「男は30歳からだ」と思っていましたが、30歳手前にして人生目先真っ暗状態となってしまいました。この時、気づいたら毎日実家に帰って飯食べるのとトイレに行くのしか気力がないという絶望的な状況でした。いつも死にたい死にたいと過去を想像しては嘆き、未来を想像しては悲観して、今を生きることすらできませんでした。とにかくどん底に陥りました。

しかし、これだけでは終わりませんでした。30歳まで残り三ヶ月と迫っていた頃、病院にいったら肝臓の数値がすごすぎて、このままいくと死ぬと言われてしまいました。失うものもないくらいどん底の状態にあり、「もう一回やり直そう」と割り切り、自然の綺麗な茅ヶ崎で全力で体を直すことに努力しました。

 

三ヶ月後に30歳の誕生日が迫っていました。そこで、病気を治す時にモチベーションをあげるために二つの目標を立てました。

①バースデーパーティーをイベントとして開くこと。

②北島康介のような人生最高の体を作ること

このイベント開催で、とてもたくさんの仲間が来てくれたこと、そして健康な体も手に入れ、ようやく30歳にしてスタートラインに立ちました。

 

人生の転機。
ULTRA JAPANの開催 。

 

そしてある日「ULTRAが韓国にアジア初揚陸するんだけど、日本のパートナーが欲しい」

という話が舞い込んできて引き受けました。フェス当日、韓国のオリンピックスタジアムで10万人が我を忘れているような体験をしているのを見て、自分は心を打たれ号泣しました。このようなEDMビッグフェスがSNSでシェアされ「どうせ日本じゃ無理だよね」と言われているのを見ました。このとき思ったのが、どうせできないと思っているここに、もし東京のど真ん中にこの巨大なフェスが来て、それを目の当たりにした時に、自分の人生、もしくは日本、世界が変わるきっかけに、もしくは自分の未来に希望を見出してくれるんじゃないかと思いました。そんなときにひょんなことにマイアミに行った時に今のAVEXの社長に偶然出会って、そこでフェスへの思いを伝えたところ「お前がディレクターやれよ」と言われ、ULTRA JAPANという10万人をこえるディレクターになりました。



僕にとってフェスは
みんなにとっての気づきの場

「みんなにとって気づきの場を作りたい」

 

フェスのディレクターをしたい。大きなフェスを作りたい。と思ったことはありません。ならばなぜフェスを開くのか。

それはみんなにとっての気づきの場を作るためです。

フェスの会場には自分探しをしている人、失恋した人、リストラした人など、さまざなな人のエネルギーがあります。でもそんな人がエネルギーの中で我を忘れるような体験をしたり、知らなかった自分に出会って、自ら「これやりたい」って思えるような場を作りたいと思います。フェスを開催して、みんなが熱狂しているのをみて、自分もかつてそうだったなと考えさせられます。また、「今活躍しているのはあのイベントに行ったおかげだね」と言える人が1人でもいたらいいなと思います。

 

一番つらかったのは、
「過去に前例のないものを行うという恐怖」

日本では特に、「今までEDMフェスで2万人以上集まったことないです無理です」とデータを可視して物事を言われてしまいます。周りも前例がないので本当に達成できるのかどうかわからず熱量が落ちてしまったりします。しかしそんな時は、とにかく行動することが一番大事です。その行動が直接的に結果に繋がるかはわからないけど、その行動したことが、自分の根拠のない自信につながっていくと思います。

また引っ張る立場なら、引いた視点から全体をみて熱量を統一するのも大事。何度も何度も熱く語り続けることを意識しています。

 

モチベーションをあげる秘訣
「モチベーションの原点は過去にある」

 

本当の心のモチベーションは何なのかを知らないとみんなを説得できません。そしてそのモチベーションは過去にあります。自分の場合、かつて心を閉ざしていた自分から、イベントづくりでみんなを変えたいという、Want toな自分に変わりました。その思いを共有できるかが大切です。

例えば「10万人動員したい」「ULTRAを大流行させたい」というような難しい目標だけをみてやっていたら、もし目標を達成できなかった時に、はい終わりとなってしまうでしょう。逆に、一人一人が新しいもの気づける場を作りたいという目標ならば、10000人しか動員できなかったとしてもその人たちが心を動かせるような体験をしたらそっちの方が大きいと思えるようになります。

過去の自分を振り返るのはとても大事です。

 

伝えたいこと

行動しないと始まらない

「目の前のことをやって、トラブルや失敗から自分の人生ができていく」

例えばパナソニックは、”最初三人で立ち上げて、世界の情報もなくてとにかく世界を良くしたいというより、目の目のことを全力でやって、やってく中で突然ヒット商品が生まれ巨大な会社になった。”という会社です。いきなり3000億の会社目指したり株価がどうこうという目標を持っていたらあの会社は生まれていないと思います。つまり目の前にあるきっかけをやっていくしかないと思います。

目の前にある不都合なことやトラブルからしか自分の人生は生まれてきません。ネットの成功例の記事を見てその人のことを追ったりすると、ずっとゴールだけを見て進んでしまい、届かなかっただけで「やっぱ無理なんだ」諦めてしまいます。目の前のことをやって失敗して自分の道を作り上げていくことが大事なんですね。

 

「直感を信じろ」

自信というのは自身を信じることであり、ワクワクしたら自分の直感を信じていくのが大事です。人間の頭はいろんな情報によりいろんな解釈をしてしまうが、体は直感で、感動したら鳥肌立つし、怖かったらゾゾっとするし、好きな人を見てドキドキする。そして、直感を信じる時、体は「ビビッと」する瞬間を感じます。これから先生きていて困難なこととかトラブルもいっぱいある、がやり続けるとびびっの意味がわかるようになります。僕なんてフェスやる前はやめたくなることもあるけど、鳥肌を信じる、直感を信じる、自分を信じると言い聞かせる、自分を信じるしかないと思います。そんな中で直感を信じて生きているといつか奇跡が起こり、それを重ねていくと自信につながっていきます。これはやった人にしかわかりません。

自分自身の直感、人生を信じられる人、それが本当の自信だと思います。

枠から外れた経験を作ろう

「違う環境に飛び込めばいいだけではない」

もう一つの環境に飛び込めばいいだけではありません。本当のワクワクは枠から外れた時にしかできない、つまりは日常の中で自分がいかに枠から外れることができるか、というのが大事になります。難しい話ですが、両極の情報や経験をすることによって真ん中の道が見えてきます。今いるコミュニティというぬるま湯から抜け出せば新しい一歩に繋がるはずです。

 

「想定外を作れ」

「苦手だと思ってた人と話したら意外といいやつだった」みたいな感じで予期せぬ出来事がいくつか連続して自分のストーリーが出来上がっていきます。そのような感じでいかに日常から少しずつ想定外を作っていくか。意味ない日もたくさんあるけど、例えば「ある日突然隣に座っていたバーの人がいい情報を教えてくれてそれが自分のアイデンティティになってしまう」みたいなことがあります。そういう想定外を作っていかないと、今のコミュニティでいいやというようになってしまいます。能動的に枠から外れる体験を作っていかなければなと思います。

 

自分の物語を作ろう

「失敗の積み重ねが道になる」

人間は、赤ちゃんから子供になり子供から小中高、大学生、ある人は男から女になり、というように変化していくものです。しかし、社会に出ると、人間は変化を恐れるようになります。

大人になって、様々なトラブルや失敗などに出会うこともたくさんあります。がしかし、絶対にどんなトラブルも不都合なことも自分の人生、自分らしい人生を作ってくれるきっかけに必ずなっています。悲観するのではなく、もしかしたらこれは僕にとって最悪だけど、これは自分を新しいステージに連れて行ってくれるものだと信じて、その点を一つずつ紡いでいくと自分の物語(アイデンティティ)を作れると思います。

学生をしながらみなさんがフェスしたりボランティアでもいい。いろんなアイデンティティを作っていく中で、その人らしい物語ができるので人間の可能性は無限です。自分自身にしかできない物語をみなさん作って欲しいです。

そのためには失敗を恐れず、自分にとって不都合なことを全て受け入れ、楽しんで自分のストーリーを作って行ってください。

 

まとめ

小橋さんが僕たちの世代へ伝えたいことはとてもたくさんあり、そして重要なものでした。特に、「失敗を恐れないこと」。これに尽きると思います。とにかく行動をして、失敗をしていく中で未来を作るものに出会うんだなと感じました。

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